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小説を書く上で最も難しい部分は、地の文ではなく紛れも無く「台詞」であると思うのですよ。地の文は正直、とても書き易いのではないだろうか。何故なら、一人称ならその登場人物の主観を丸々書けることが出来るから。今の状況や、不安に揺らぐ本音を示す心理状態や、それからの思惑。地の文はとても幅がある。自分の気持ちなんて隠さなくて良いのだからね。しかし、台詞となるとある程度の本音とかの気持ちは殺さなくては駄目なのだ。駄目なんです。しかし、人間は不思議な生き物でして、本人では隠している本音が台詞を通じて、相手にいつの間にか裏腹を読まれてしまう。隠している本音をチラチラと垣間見ることが出来る、そのスレスレの描写が「台詞」には求められるのではないかと。だから、今何かと話題に上がる台本小説は、恐らく小説を書く上で最も難しい類なのです、実は。だって、普通の小説とは立場が逆転してますからね。感情の核となる地の文は少なく、そうではない台詞が主体となるのだから。台本小説は面白みに欠ける、台本小説は小説として成さないと捉える人については、「ほう、じゃあ貴方の描く台詞は絶品なのですね。地の文もましてや台詞も完璧なんですね」と皮肉たっぷりに拝み倒してしまいたいのです。以前、森鴎外ファンの母に「台本小説という、台詞で構成されている小説についてどう思うか?」と尋ねたが、やはり母も「小説の中で一番難しい」との見解を示す。しかし、それでも「台詞小説は手抜き」と見解する方は少なくないです。そして「台詞小説は高等技術」と主張する方は意外と少ない。
でも「台詞小説は手抜き」という考えが広がっているにはそれなりの理由があると思うのです。最大の理由として、その類を書いている人間が「まだ小説を書き始めて間もない」というのが“圧倒的”に多いから、だと感じます。私みたいな小説を手にしたことなどない野郎が、いざ小説に挑戦するとなると、どうしても地の文が考えられない、そもそも地の文と台詞の構成が分からない故に、必然的に台詞が多い小説が出来上がってしまうものです。そして肝心の台詞自体も軽い。高等技術なのに、初心者が書くと一変して下等技術に捉えられてしまう。それが私の理由だと思うことです。ましてや、パソコンがあれば、なくても紙とペンさえあれば誰でも創作出来るのが小説です。漫画にはない気軽さというものが小説執筆の魅力と思ってやまない私がいます。でも、その気軽さ故に楽しく踏み込んだ第一歩で「台詞が殆どの小説なんて…」と言われてしまうのは余りに悲しい。台詞は小説の上で基本だと思う。登場人物が台詞を言う、その言葉を他の人物が理解、または了承して物語の事態は動いていくものです。無理して増やした地の文だけでは物事は進んでいきません。「台詞」を馬鹿にしないで欲しい。懸命に台詞を考えて、書いて、そして創作する喜びを初めて知った方々をあざ笑わないで欲しい。
小説の世界も現実も「無言では成り立たない」のですよ。