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「 映画 」
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・タイトル通り。年明けからドドンと映画賞レースも始まる。1月上旬に発表される、というか今日か明日のいずれかの発表であろう、「第83回・キネマ旬報ベストテン&個人賞」を一気に予想してみた。別に根拠は無い。ただ何となくキネ旬の批評家が選びそうなのをそれなりに悩みながら以下に選出した。そして当年はとりわけ、邦画が不作だったことに気付く。

日本映画ベスト10(予想)

第1位:「ディア・ドクター」
第2位:「剱岳 点の記」
第3位:「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」
第4位:「愛のむきだし」
第5位:「沈まぬ太陽」
第6位:「空気人形」
第7位:「サマーウォーズ」
第8位:「のんちゃんのり弁」
第9位:「南極料理人」
第10位:「重力ピエロ」

・邦画は全然予想がつかない。どうなることやら。次点予想で「誰も守ってくれない」「ウルトラミラクルラブストーリー」「女の子ものがたり」「フィッシュストーリー」。


外国映画ベスト10(1位以外は予想)

第1位:「グラン・トリノ」(確定)
第2位:「母なる証明」
第3位:「チェンジリング」
第4位:「ミルク」
第5位:「イングロリアス・バスターズ」
第6位:「チェイサー」
第7位:「愛を読むひと」
第8位:「レスラー」
第9位:「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
第10位:「ポー川のひかり」

・「グラン・トリノ」は200%、ベスト1確定です。というか、先日キネ旬が発表したオールタイムベスト10にランクインしている時点で予想もへったくれもありゃしない。韓国映画二本、「母なる証明」「チェイサー」も確実に入ってくるはず。次点予想で「ロルナの祈り」「レボリュショナリー・ロード/燃え尽きるまで」「フロスト×ニクソン」「スラムドッグ$ミリオネア」。


・個人賞(予想)

 日本映画 監督賞:西川 美和(ディア・ドクター)

 日本映画 脚本賞:西川 美和(ディア・ドクター) 

 日本映画 主演男優賞:浅野 忠信(ヴィヨンの妻、剱岳)
 日本映画 主演女優賞:ペ・ドゥナ(空気人形)

 日本映画 助演男優賞:香川 照之(剱岳など多数)
 日本映画 助演女優賞:八千草 薫(ディア・ドクター)

 日本映画 新人女優賞:満島 ひかり(愛のむきだし、プライド)
 日本映画 新人男優賞:西島 隆弘(愛のむきだし)

 外国映画 監督賞:クリント・イーストウッド(チェンジリング、グラン・トリノ)

・ま、こんな具合で。どうでしょう? 答え合わせが楽しみ。
 

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・松本人志の「しんぼる」を観た。さぞかし、酷い作品だろうなと観終わったら、ケチョンケチョンに貶してやろうと意気込んで(?)鑑賞したものの、「あれ? 普通に面白いんだけど」。唐突のラストは、客席からは「分かんな~い」という声がチラホラ。俺は「成る程ね」と首を縦にうなずいて納得。映画慣れしていれば、どうってことない分かり易い内容だと思った。ゆえに松本の真意がチラホラ見えたのでニヤニヤが止まらず。挑発的で天邪鬼な映画。俺は大好き。予想通り、「これは地雷映画じゃない。水爆映画だ!」(流石に不謹慎な表現だと思うがね)と衝撃的な批判を始め、各所で内容を巡り、タコ殴り状態。

 「大日本人」は観てないけれど、本作を観て松本はテレビでは出来ないコントを映画に移してやっているだけなのだなぁと。あんなもんテレビで垂れ流したら、テレビ局が潰れます。「狭苦しいテレビの表現で収まらないことは映画館でやれば良い」と思うよ、俺は。松本含め、ダウンタウン自体は「ごっつええ」以降は大嫌いだけれど、それでもまだコントを諦めていない姿勢は好き。

 「コントなら何でも出来ると信じている」と言ったのは確か、ラーメンズの小林さんだった。小林さんはあくまで舞台、松本は映画。方向性は真逆だけれど、目指している極みはきっと一緒。松本人志という人間は絶対に好きになれないだろうけれど、天邪鬼なお笑い人としてなら評価出来るよね。

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※以下の内容は映画「ゆれる」の結末に触れています。ご容赦ください。


・先日、西川美和の「ゆれる」(2006)を観た。名古屋のキノシタホールでリバイバル上映。スクリーンで拝めて、本当に嬉しい。実は、西川美和の作品は、今年の上半期第1位に選出した「ディア・ドクター」以外観ていない。恥ずかしながら、06年の邦画界を驚愕の渦に巻き込んだ傑作をようやく。「香川照之は神」と称えられた理由が、否応無しにはっきり分かった。香川さんは神だ。鬼だ。彼は心底より、オダギリジョーの兄貴を演じ、心底より、オダギリジョーという弟を突き放した。もっと早くこの作品を観ておくべきだった。したらば、香川照之に対する羨望にも似た、尊敬の眼差しは増幅したのだと思う。

・兄弟って、結構互いの優劣は気にするもんやね。この映画の場合、兄貴は「女性を吊橋から渓谷に突き落とした」疑いを掛けられて、一気に弟に対する本音をぶちまけ、自ら保守的な地元に留まっていることへの鬱憤や憂いが爆発する。嫌だねぇ、普段は口当たりの良いオブラートで包み隠すというのは。

・私はパワプロは好きだが、猪狩兄弟は大嫌いだ。今となっては丸くなっているが、兄貴の守は弟の進を可愛がっているようで、実はそのベクトルは進の思う方向とは真逆だ。進は、性格的に完璧すぎる。あんなクソ兄貴についていこうとする気がしれない。だからこそ、パワ7では神童に追従したのだろうけど、あれくらいの反発で気が済んだのだろうか。結局、パワ10ではカイザースに移籍してるし。(その後、再び嫁を追って自由の国へ飛び立ったのだが)。もっと彼には、兄貴の存在を真っ向から否定するくらいの鬱憤がたまっていてもおかしくない。だが、それは私の価値基準であり、他の人から見れば「いや、そこまで」と踏みとどまるのかもしれない。それでも私は、猪狩兄弟の甘ったるい顛末が嫌いだ。だからこそ、パワではない、パワポケ7の猪狩進に深入りしてしまう。彼は、選手生命を絶たれ(野球マスクの一件で)、スポーツ・ドクターとして食っているという設定だ。主人公が「あの猪狩守の弟の……!」というと、進は何も言わずただ歯軋りをするのみ。間違いなく、兄貴を憎んでいた。後のイベントで、甲子園に行けなくなったと嘆く主人公を殴りつけながら「人生は失うことの連続だ!」と言い放つシーンは感動的だ。我が人生の座右の銘にしたいくらいの名言だ。彼は、肉的に野球の出来る体では無くなったことだけを自らに当てはめ、前述の名言を言い放ったのではない。進は、兄貴の存在も捨てたのだ。兄貴が「お前と一緒に野球に関わりたい」と嘆いても、弟である彼は容赦なく突き放したのだ。

・まるで、「ゆれる」において、香川が「俺が人を殺した疑いを明らかにしようとしない。それが俺の弟である、お前だよ」と面会室でオダギリジョーを突き放した台詞のようだ。お前は殺人犯を兄貴として持ちたくないんだよ、と懸命に弁護に励む弟をこれでもかこれでもかと蔑む。守と自らを切り離し、スポーツドクターに甘んじた猪狩進の顛末も思わず凄むべきものだったのだろうか。もしかすると反動ついでに、父親の茂からも勘当されたのかもしれない(それ以前に野球マスクになった時点で……)。ここまでくると、妄想の域だが、何時だって本音を吐露してしまった者の末路はあまりにも酷い。寸先が出てしまえば、あとは嘔吐する感覚だ。ゴボゴボと惰性に任せ、吐き出すしかないのもかもしれない。後先、周りの人間の思惑も一切合財無視をしてでも。

・ポケ7のイベントで強い印象を残した進のその後は、結局知る由も無いけれど。兄や父とも和解したとは思えない。彼は、スター選手として活躍する兄の立つ表舞台ではなく、どこぞの球団、球場のベンチ裏、ひっそりと負傷した選手が運ばれてくるのをじっと待ち続けるという立場は、きっと変わらない。

・「ゆれる」の弟、オダギリは兄貴に突き放され、弁護の意義を完全に見出せなくなった彼は、法廷で真実という名の嘘をついてしまう。兄である香川は、実刑を受ける。7年後、オダギリは偶然発見した、昔のフィルムを回す。幼い二人、仲良く手を取り合って例の吊橋を渡る映像。溢れ出る涙を拭えず、全てを悔い改め、大慌てで出所してくる兄貴を迎えに走る弟。兄の連絡先も行き先も分からない。中々見つからず奔走する弟は、ついに反対歩道をトボトボ歩く兄に出くわす。「にいちゃーーん!」と叫ぶも、車の走る音が虚しく掻き消す。ふと、兄が後ろをチラチラ振り返りながら、走り出した。バスが来る。兄はバス停に向かって走り出したのだ。「街」を出て行くのだろうか。誰も知らない場所へ。弟は必死に叫び、共に走る。バスはすぐそこまで来ていた。

「にいちゃーーーん! にいちゃーーーん! ウチに帰ろうよぉ!!」

 ついに兄は弟の叫びに気付いた。キャメラは兄である香川の表情を捉える。弟を見据える兄の顔は、段々と悲しみなのか喜びなのか、よく分からない不器用な笑みを浮かべる。その瞬間、目の前をバスが横切る。

・そして映画はエンドロールを迎えた。

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【サマーウォーズ】(監督:細田守/声の出演:神木隆之介、桜庭ななみ)
 
 試写会での鑑賞から2週間以上経った。鑑賞当時は「まぁ、佳作程度だね」という印象しか受けなかった。細田守の前作「時をかける少女」(2006)のインパクトがあまりにも強く、そのあまりにも高い壁を乗り越えていない気がしたからだ。家族にも友人にも「時をかける少女のほうが面白かった。期待しちゃいけない」と無理にまで煽らなかった。だがしかし、じわじわっと、胸中に沸々と湧いて出てくるように「ああ、そういえばここまで真剣に家族を描いたアニメーション映画って、あまり無かったよねぇ」と、ここ最近印象が上がってきた気がする。<家族>を描いたアニメーション映画は、意外にも少ない。今年公開された作品を観てみると、どれも決まって<友情>や<恋愛>に重きが置かれている。その二つの要素だけではないが、もっと直接的に家族という風呂敷を大いに広げたアニメーション映画は今年の中では正直、皆無に等しい。先日、某有名映画サイトの掲示板の話題に、同じくこの映画の試写を見たという男性のコメントがあった。「家族を描くのは宮崎駿で充分なのに」とある。そもそもアニメ界の巨匠・宮崎駿でさえも、<家族>を描いている作品は少ない。強いてあげるなら「となりのトトロ」(1988)くらいなものだ。寧ろ、高畑勲の作品が<家族>をより根本的に描いているといえる。「火垂るの墓」(1988)「おもひでぽろぽろ」(1991)「ホーホケキョ となりの山田君」(1999)と三作品も挙がってくる。もっとコアなファンになってくると、そのようなジブリ作品ではなく「ユンカース・カム・ヒア」(1994)を<家族>を描いた優良な作品として取り上げる人も少なくない筈である。しかし、今までに枚挙したジブリもユンカースも既に10年、いや20年以上前に生みだされたものである。21世紀に入ってからはどうだ。ずっと見渡しても、ジブリはおろか、追随する気鋭のアニメーターの作るアニメーション映画は活動力重視の気がするのである。画面一杯に繰り広げられる戦闘もの、ロボットもの、はたまた慌しく少年少女の成長を描いた活劇。ジャパニメーションの視野は拡大する一方、例えば原点回帰をして最も身近で重要な要素を丹念に描こうとするアニメーション映画はかなり少ない。一瞬、頭を過った、一匹の狼と山羊を主人公に据えた「あらしのよるに」(2005)を反芻してみたが、いや、あれは「種族」を描いた内容で、家族映画ではない。無難に挙げるなら、クレヨンしんちゃんという狭苦しいフィールドから抜け出し、一つの家族を通して、現代日本の様々な問題を否応無く浮き彫りにさせた「河童のクゥと夏休み」(2007)を監督した原恵一くらいである。久しぶりのアニメーション映画、いや日本映画そのものの快作だった。いや、ひょっとすると21世紀になって9年、それまでに封切られたアニメーション映画の中で圧倒的な完成度を誇っていると断言できる。私も鑑賞当時、あまりにも興奮してしまい、ミクシィの日記に思いの丈をぶつけるのは良かったものの、ネタバレ三昧&脈絡不在(それ以前に、映画のタイトルから安易な子供向けと判断して興味なぞ無かったに過ぎないとも思ってもみる)という畜生な文章を綴ってしまったので周囲から総スカンを喰らってしまったのは悔しかった。しかし、その年のキネマ旬報・ベスト10では、ジブリ映画以外のアニメーション映画として初のランクイン(第5位)を果たし、してやったりな安堵を浮かべる私でありましたとさ。
 
 さて、話は脱線に次ぐ脱線で、何を言いたいのかサッパリなのである。要は家族を描くアニメーション映画は不遇だ(唐突だなぁ)。あまりにも日本映画の話題の隅にも点在しない。前述の「ユンカース」に至っては、殆ど知っている人間はいないのではないか。公開当時、惨めな公開規模と散々な興行収入。アニメーション関係者の間では100%の知名度を誇る、「隠れすぎた名作」となってしまった。さらに小学生の女の子とシュナイザー犬が物語の主人公という地味な設定である。当時は、今日のような「いぬ映画」が流行していたとは言い難い。丁度その頃、ジブリが高畑勲の狸映画を公開していた。そう世間は犬よりも狸だったのだ。大きなスクリーンで「♪赤勝て、白勝て、どっちも負けろ。負けた狸をぶっ殺せ♪」と女将狸がチンドン鳴らしている間にも、「ユンカース」という名作は、高畑の狸たちが嘆いていた、ニュータウン開発に消失した山のように存在すら、掻き消されてしまったのである。「河童のクゥと夏休み」はどうだ。何せ、クレヨンしんちゃんの概念を打ち砕き、日本中の保護者を号泣させた原恵一だ。特に評価の高い、傑作「オトナ帝国の逆襲」(2001)では、ひろしの回想に泣かされ、そしてラストでは吉田拓郎の「今日までそして明日から」が流れながら、野原一家が20世紀博を去っていくシーンに誰しもが暗い見通しの21世紀を精一杯、家族で支えあって乗り越えていかなければならないと、決意したことであろう。その、原恵一なのだ。そんな阿呆みたいにアニメーション離れな映画を作り、成し遂げてみせた稀代の映画人が作った、満を持しての最新作「河童のクゥ」はもっともっと、配給の松竹が心血注いでバックアップすべきだったのだ。所詮、天下の東宝にはテレビドラマをフジテレビと一緒に映画化するしか能が無いのだから、東宝が手を出さないジャンルを、頑張らないでどうするのか。内容は必ずしも子供受けしないが、でも純真な子供を騙してでも観てもらわないといけない。2時間20分という長尺が受け入れられないかもしれない。でも、無理矢理に席に押し付けても、その価値は薄れないはずだ! という、強い信念みたいなものが結局松竹には無かったということである。結果的に「河童のクゥ」は原恵一の5年ぶりの待望作であったにも関わらず、3億円の興行収入で寂しく留まったのであった。
 
 不遇だ。あまりにも不遇だ。<家族>がしっかりとヒットしないアニメーション映画界に殴り込みを掛ける映画人はいないものか。……いた。それが細田守の最新作「サマーウォーズ」である。間もなく、というか明日8月1日・映画の日から公開という絶好の機会だ。ヒットして貰わなければ困る。ヒットしないジャンルは、もしかするともうアニメーション映画でも拝めないかもしれないのだから。
映画のストーリーはというと、非常に現実味を帯びており、世界的に流行しているSNSをもっと生活に肉迫させた、OZという仮想世界がクラッキングされ、大勢の利用者もしくは公共機関、企業のアカウントが乗っ取られる事件が発生する。そんな危機に数学の名手である、高校生の健二と、彼が憧れている高校の先輩夏希と武田信玄の家臣の末裔である、多種多様な陣内家の本家、その親戚一同が立ち向かっていく、いわばタイトル通り「夏の陣」の様相を呈した大家族活劇なのだ。名前が覚えきれないほどの登場人物が出てくるが、富司純子演じる90歳の栄お婆ちゃんの気概にまず圧倒されることだろう。未曾有のネット災害においても、まず<家族>の連携を第一にして、「家族が一致団結せねばいけない。やれば出来る。諦めちゃいけないよ」とディジタルに立ち向かうにしても、決して忘れてはいけないアナログな姿勢を崩さない。そして観客は、栄が古い知り合いに連絡を取り合うために用いる手段に、それまで散々OZのハウツゥ含め、ネット社会の描写に慣れ親しんだ目をパチクリさせてしまうことだろう。ここがある種のミソみたいなもので、仮想社会のOZの混乱が一つの主軸なのに、なぜわざわざ長野県の片田舎を現実世界においているのか、その理由もおのずと分かる。
 
 ネット上のコミュニケーションは、私の中では脆すぎると思う。そして紛れも無い仮の姿なのである。ミクシィのような現状のSNSでも、私の経験上、人と人との繋がりはガッチリしているかと自問すれば、絶対何処かで遠慮している部分が存在するからである。中には本心をひた隠さずにいられる人もいるが、残念ながら元々、ネットなんかで自分を遠慮させながら根深くいようとは思っていないのではないかと思えるのだ。その人は、元来、現実に生きる人なのだ。但し、あくまで客観的なだけで、本人からすると「本心じゃないのになぁ」と呟いているのかもしれない。全部引っくり返して、本当のところは当事者以外分からないものだ。至極当たり前の話ではあるが。結局、パソコンの画面を仲介して、文章を打ち込み「会話のような会話」を交わして、互いの顔を意識できないコミュニケーションの進歩は容易なのだろうか? なかなか、難しい世界なのだと思う。ミリ単位以下の、非常に微妙な精神領域の中だ。OZの存在する、多分決して遠くない未来に誰しもが、老若男女問わず其処にアクセスする為の端末(劇中では、携帯はもちろんのことニンテンドーDSからもOZに繋がる)を持ち合わせ、生活の主体及びビジネスに活用していても、それらは人と人とのコミュニケーションがあってこそ、感情面を含めて成り立つものではないのか。現在において、最も身近なのはAmazonなどのネットショッピングがある。否定はしない。全国何処にいても希望の商品をワンクリック、注文できる。細微のようで実に簡単なので、私も度々活用する。店頭価格よりも安い、というのも購入意欲が沸くというものである。だが、注文するにしても単なる作業と化してしまうのは言うまでも無い。其処に、人と人とが直接介することは皆無なのだ。強いてあげるなら、注文した商品を届けに来る配達員とのやり取りくらいか。しかし、大概の配達員は、届け物の中身なぞ知る由も無いのである。ネットワークの進歩は、生活速度にもゆとりが生まれ、潤滑な社会が生まれる。サマーウォーズのOZのように、完全に生活の母体となれば潤いも増すということになる、かもしれない。「人との繋がり」は感じられないけれど。もっとも、その一種として、アバターという自分の分身キャラクターがOZの住人として存在するが、あくまで偽者だ。
 
 さて、サマーウォーズは正真正銘の家族映画である。OZという仮想世界はあくまで見せかけ。OZで繰り広げられるアクションと策略、敵味方問わず、色彩豊かなキャラクター達が縦横無尽に駆け回る姿に、子供のみならず大人の鑑賞に堪えうる活劇が見応え抜群。さらに、世界終末へ否応無く向かう、スペクタクル溢れる展開、それに対する親戚一同の奮迅ぶりもギャグ要素を織り交ぜ、面白おかしく魅せる。監督の熱望で実現した山下達郎の主題歌も余韻を際立たせるのにも一役買っており、心地良い納涼気分と共に劇場を後に出来るだろう。しかし、どんなに目まぐるしい程、豊かな要素に富んでいても、終始このサマーウォーズには家族そのものが関わる。「家族で決着つける」が合言葉のように付きまとうのだ。この映画において、世界中のOZを利用する人がまさに繋がっていくシーンみたいなものが描かれるが、私から見れば何ともご都合の良い展開だ。私が当初、あまりこの映画を評価できなかったのもネットコミュニケーションに対する中途半端な肯定が描かれていたからだ。だが、今思うと単純にエンターテイメント趣向に完成させた細田の気概の一つと捉えることが出来る。傍から見ればちょっとくすぐったいけれど、大団円に向けての布石と思うと映画として成功している。それよりも何故今更、再評価したかったというと、劇中のOZで巻き起こる騒動の根本に蠢いているのも、<家族>という意識だったからだ。何度も何度もしつこいようだけれども。
 
劇中、中盤近く、ふらふらっと大家族の前に現れる侘助という男に着眼して頂きたい。もし観て下さるのであれば。その男の境遇、ゆえに抱えるコンプレックス。それがもたらした真実が分かる瞬間、人という理性をもつ唯一の生き物が辿り着く先は、家族なのかもしれない。巡り巡って家族に辿り着いた思惑が、たとえば恩返しであれ、「恨みや妬み」といった憎悪であれ、<家族>を意識しているという意味では一緒なのだと思う。結局、普通の人間を名乗っているならば父親、母親、兄弟、姉妹、祖父母で構成された中で少なからず、いや間違いなく過ごしているからである。細田守は、ネットコミュニケーションで成り立ちつつある世の中を、本作でコミュニケーションの本家大元である<家族>という明快な立場を用いて、打ち破ってみせた。なんとも、爽快なカリカチュアである。今夏必見の一本。小難しいことなぞ考えず、ジメジメした湿気が続く世の中、是非「劇場から出た後、晴れ間が広がってそう」な本作をご覧になって、健全な精力剤を大家族・陣内家の人々、そして彼らに翻弄されながらも、周囲を鼓舞しながら成長していく主人公・健二から注入されてみてはいかが?

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<日本映画・上半期ベスト10> 全51本

第1位:「ディア・ドクター」
(監督:西川美和/出演:笑福亭鶴瓶、瑛太)

第2位:「劔岳 点の記」
(監督:木村大作/出演:浅野忠信、香川照之)

第3位:「愛のむきだし」
(監督:園子園/出演:西島隆弘、満島ひかり)

第4位:「ポチの告白」
(監督:高橋玄/出演:菅田俊、野村宏伸)

第5位:「フィッシュストーリー」
(監督:中村義洋/出演:伊藤敦史、高良健吾)

第6位:「ジェネラル・ルージュの凱旋」
(監督:中村義洋/出演:阿部寛、竹内結子)

第7位:「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」
(総監督:庵野秀明/声の出演:緒方恵美、林原めぐみ)

第8位:「劇場版 天元突破グレンラガン 螺巌篇」
(監督:今石洋之/声の出演:柿原徹也、小西克幸)

第9位:「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」
(総監督:京田知己/声の出演:三瓶由布子、名塚佳織)

第10位:「デメキング DEMEKING」
(監督:寺内康太郎/出演:なだぎ武、喜安浩平)


【日本映画・総括】
・捉え方としては二通りあると思うのです。まず一つとして、実写邦画の不作ぶりが個人的に挙げられます。安易な娯楽表現でも観客に受けるだろう、という気持ちが自然と篭った大作、インディーズ問わずしてB級映画が煩雑としてしまっているのではないか。と、一抹の不安と不満が下半期に繋がってしまったと感じております。コメディならただひたすら荒唐無稽なだけ。また、題材が良くても後は感性にまかせっきりで、味の悪い作品に仕上がるだけ、と「邦画豊作」と言われた去年に比べるとその質度の低下は甚だ、著しいものであります。そして二つ目として、実写の不作の煽りでアニメーション映画を3本も、ベスト10に組み込んでしまったこと。例年のベスト10、加えて上半期のとなると、異例の事態。しかし、敢えて前向きな観方をすれば「正しい日本映画」としてのバランスなのかもしれません。たかだか、一般素人のベスト10。無意識のうちにアニメーション映画に重きが傾いただけの結果。つまり、ジャパニメーションと実写が同じ芝生になりつつあるだけかもしれませんね。やっと落ち着いてみれば、なんだ上位5本はなんやかんやで実写邦画じゃないかい。私からは「おくりびと」以上に価値のある作品なのです。娯楽映画を極楽に昇華させた第5位、そんじょそこらの勧善懲悪の刑事ドラマとは一線を画する骨太社会派の第4位、4時間の尺にタップリ詰め込めんだあらゆる要素が心地良く暴走する第3位、「大作ならぬ大作(だいさく)映画」の到来を予感させる唯一無二の神傑作の第2位、そして人間の根底に潜むものを鎮座させ、観客に問い質す文句なしの第1位。改めて、感慨深く考察すれば、ああ邦画の力は全部全部丸々ひっくるめて、「やっぱり凄い!」と唸るしかないのかしれませんね。凄いのだから、逆に意地悪くなってしまうだけなんです、きっと。
 
<外国映画・ベスト10> 全53本

第1位:「レスラー」
(監督:ダーレン・アロノフスキー/出演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ)

第2位:「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
(監督:デヴィッド・フィンチャー/出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)

第3位:「愛を読むひと」
(監督:スティーヴン・ダルドリー/出演:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ)

第4位:「チェンジリング」
(監督:クリント・イーストウッド/出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチ)

第5位:「シリアの花嫁」
(監督:エラン・リクリス/出演:ヒアム・アッバス、マクラム・J・フーリ)

第6位:「グラン・トリノ」
(監督:クリント・イーストウッド/出演:クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン)

第7位:「チェイサー」
(監督:ナ・ホンジン/出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ)

第8位:「ダイアナの選択」
(監督:ヴァディム・パールマン/出演:ユア:サーマン、エヴァン・レイチェル・ウッド)

第9位:「ダウト ~あるカトリック学校で~」
(監督:ジョン・パトリック・シャンリー/出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン)

第10位:「THIS IS ENGLAND」
(監督:シェーン・メドウス/出演:トーマス・ターグーズ、スティーヴン・グレアム)


【外国映画・総括】
・昨年、「ノーカントリー」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」などといった現代悪を反映させた非娯楽作品がアカデミー賞を席巻したのは、未だに記憶に新しいところです。しかし、同じく昨年の9月には例のリーマン・ショックが勃発し、世界は未曾有の大不況に突入したのでありました。そんな状況下にアカデミーは慌てたのか、今年の米アカデミー賞はインド人の青年が一途な想いで恋愛を成就させようとする、「スラムドッグ$ミリオネア」という明るく誰でも楽しめる娯楽映画が8部門を独占する快挙を成し遂げました。授賞式で司会のヒュー・ジャックマンとビヨンセが一緒に踊り歌った演出も、必死にアメリカ映画が「不況なんて関係ないさ」ともがいている様で意味深なものを感じました。ですが、ただ明るい映画だけが良しとされるべきではありません。イーストウッド御大をご覧あれ。アカデミーは取らなかったものの、その純情な良心の塊で出来た「グラン・トリノ」と「チェンジリング」は絶対に今年度のキネマ旬報ベスト10で、1・2フィニッシュを飾ることでしょう。艶やかで、やや強烈な恋愛描写も、主人公であるシークレット・レディへの感情移入を否応無く高める後半への布石だと思うと胸が詰まる「愛を読むひと」。タイタニックで一世を風靡したミューズ、ケイト・ウィンスレットは本作で大女優に変貌しました。第1位はフォレスト・バトンならぬ、「ベンジャミン・バトン」と「レスラー」のどちらにするかで、悩みに悩みぬきました。でも最後は、どれだけストーリーに深入りさせてくれて、登場人物を愛しく思わせてくれるか。その意味では、若干ながら「レスラー」に軍配。今年の上半期は、やはりアカデミー賞の影響(?)なのか、まっとうに明るいとまではいきませんが、鑑賞後に心中がスゥッと軽くなるような余韻に襲われる作品ばかりだった気がします。感情面の問題に過ぎないのですが、それだけ外国映画にスクリーンに釘付けにされた、ということでしょう。ただ、ベスト10の下位に行くと何だか真っ黒な作品が点在しているのはご愛嬌として。
 

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