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映画の正しい鑑賞方法を知らず、捻くれたまま映画を観続ける残念な怪獣がアレコレ愚痴りまくるブログです。
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 1年ぶりの新作、「ATOM」が完成しました。この短篇は毎年夏に開催される、the back of beyond様(http://thebackofbeyond.web.fc2.com/index.html)主催、「コラボレートスペシャル」第5回大会に出品させて頂きました。

 といっても、この作品の出来は正直、ここ数作の中で一番出来の悪い秀作ならぬ、醜作となってしまいました。締め切りを過ぎ、まだ完成していない作品でしたが、チャットに乱入し、主催者の一人、みすたンさんに藁にもすがる思いで「締め切りを延ばしてください」と頭を下げ、ご容赦くださいました。結果として、締め切り3時間後の9月1日午前3時ごろに完成。彼には御礼を申し上げると共に、自分でさえ未だに読み返す勇気の湧かない作品を投稿してしまったことに恥じらいを感じる次第。深く猛省。下手したら、この小説は当サイトにはアップしないかもです。本当に酷い。……が、明日(今日、深夜頃か)は批評会。ボロクソ覚悟で参加することにします。

 これからはラミさんとこの掲示板で長らく放置している「鬼がいる!」の続きを書き進め、年内に終わりが見えてくればいいなぁと期待。そして、新たに中篇小説「きしむ」(仮題)の執筆にも取り掛かろうとも思います。同じく二次。猪狩兄弟の話。頑張るぞぉい。

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 FourRamiさんが、8ヶ月ぶりに新作を発表。パワプロ二次創作。さて、読んでみようとしたら、主人公が六本木優希ということで、ボクはショックを受けた、というかタイミングが悪い、と思った。如何せん、ボクが今必死になって、オリジナルと並行して書いているパワプロ二次小説の主人公も同じく、その六本木君なのだ。かれこれ、4年以上も彼のキャラクターと対峙し、そして挫折し続けている。ボクは、ラミさんの新作を読もうと、ページをクリックするも、内容を知るや否や、一瞬にして翻してプラウザの「戻る」ボタンを連打して、この日記に至るのであった。

 ラミさんには非常に申し訳ないが、ボクはまだラミさんの新作を読めない。読んでしまうと、追い討ちを掛けられて、二度と六本木優希という魅力的な人間をダシにした(言い方が悪いぞ)作品が書くことは出来ないと判断したからだ。なので、彼の新作を読む時は、ボクなりに短編一本でもいいから、何かしらの形で六本木優希に一度決着をつけてから、ゆっくり味わいながら読むことにしたい。そうでないと、駄目になりそうで。

 ボクは前述通り、六本木優希と本格的に睨めっこし続けてかれこれ、早いもので4年以上も経つ。何故、そこまで拘るのかと言えば、無論、相応の理由はないわけでもないが、それは晴れて一本出した時に漏らそうと思っている。まずは、そんなのどうでもいい。問題は、ボクが4年以上も悩んでいる問題を、ラミさんは8ヶ月で決着をつけたということである。これはへこむ。かなりへこむ。辛いものがある。根本的にボクは小説を書くことが苦手なので、思いの丈を中々文章の中に暗喩させるなり、何なりとぶち込むことが出来ないのだ。だから、人よりも小説を書くペースが遅すぎるのだ。六本木優希、で結局4年も割いてしまっている自分が、本当に情けなくて、情けなくて。

 話変わって、長年のネット友人である、青龍さんは某文学賞に作品を応募した。ボクもついでに感化され、「頑張るぞ!」と意気込むものの、当然詰む。必死になってもがいても、締め切りは今月末。それでも諦めつかないボクだったけれど、青龍さんと自分とでの実力の差異ははっきりしていた。けど、彼に続こうとしていた。「無理がある」と薄々察してしたけれど。そして、今、たった今、懸念は確信へと鮮やかに変貌した。

 ボクはまだまだ未熟者だ、という揺るぎ無い立場。都合よく、文学賞に応募しようとした自分。ダラダラと一人の人間を4年も追いかけている自分。誰が見ても、文学に怠惰であるのは歴然である。ボクは駄目だ。全然駄目だ。卑下しても、卑下しても、物足りないくらい、ボクはボク自身に対して腹立たしい。

 打開策が見つからない。どうすればいいのかよく分からないから、とりあえず落ち込みつつも、書いて、書いて、書いていこうと思う。もっと紆余曲折せねば。自分の文章に真剣に悩まねば。

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※以下の内容は映画「ゆれる」の結末に触れています。ご容赦ください。


・先日、西川美和の「ゆれる」(2006)を観た。名古屋のキノシタホールでリバイバル上映。スクリーンで拝めて、本当に嬉しい。実は、西川美和の作品は、今年の上半期第1位に選出した「ディア・ドクター」以外観ていない。恥ずかしながら、06年の邦画界を驚愕の渦に巻き込んだ傑作をようやく。「香川照之は神」と称えられた理由が、否応無しにはっきり分かった。香川さんは神だ。鬼だ。彼は心底より、オダギリジョーの兄貴を演じ、心底より、オダギリジョーという弟を突き放した。もっと早くこの作品を観ておくべきだった。したらば、香川照之に対する羨望にも似た、尊敬の眼差しは増幅したのだと思う。

・兄弟って、結構互いの優劣は気にするもんやね。この映画の場合、兄貴は「女性を吊橋から渓谷に突き落とした」疑いを掛けられて、一気に弟に対する本音をぶちまけ、自ら保守的な地元に留まっていることへの鬱憤や憂いが爆発する。嫌だねぇ、普段は口当たりの良いオブラートで包み隠すというのは。

・私はパワプロは好きだが、猪狩兄弟は大嫌いだ。今となっては丸くなっているが、兄貴の守は弟の進を可愛がっているようで、実はそのベクトルは進の思う方向とは真逆だ。進は、性格的に完璧すぎる。あんなクソ兄貴についていこうとする気がしれない。だからこそ、パワ7では神童に追従したのだろうけど、あれくらいの反発で気が済んだのだろうか。結局、パワ10ではカイザースに移籍してるし。(その後、再び嫁を追って自由の国へ飛び立ったのだが)。もっと彼には、兄貴の存在を真っ向から否定するくらいの鬱憤がたまっていてもおかしくない。だが、それは私の価値基準であり、他の人から見れば「いや、そこまで」と踏みとどまるのかもしれない。それでも私は、猪狩兄弟の甘ったるい顛末が嫌いだ。だからこそ、パワではない、パワポケ7の猪狩進に深入りしてしまう。彼は、選手生命を絶たれ(野球マスクの一件で)、スポーツ・ドクターとして食っているという設定だ。主人公が「あの猪狩守の弟の……!」というと、進は何も言わずただ歯軋りをするのみ。間違いなく、兄貴を憎んでいた。後のイベントで、甲子園に行けなくなったと嘆く主人公を殴りつけながら「人生は失うことの連続だ!」と言い放つシーンは感動的だ。我が人生の座右の銘にしたいくらいの名言だ。彼は、肉的に野球の出来る体では無くなったことだけを自らに当てはめ、前述の名言を言い放ったのではない。進は、兄貴の存在も捨てたのだ。兄貴が「お前と一緒に野球に関わりたい」と嘆いても、弟である彼は容赦なく突き放したのだ。

・まるで、「ゆれる」において、香川が「俺が人を殺した疑いを明らかにしようとしない。それが俺の弟である、お前だよ」と面会室でオダギリジョーを突き放した台詞のようだ。お前は殺人犯を兄貴として持ちたくないんだよ、と懸命に弁護に励む弟をこれでもかこれでもかと蔑む。守と自らを切り離し、スポーツドクターに甘んじた猪狩進の顛末も思わず凄むべきものだったのだろうか。もしかすると反動ついでに、父親の茂からも勘当されたのかもしれない(それ以前に野球マスクになった時点で……)。ここまでくると、妄想の域だが、何時だって本音を吐露してしまった者の末路はあまりにも酷い。寸先が出てしまえば、あとは嘔吐する感覚だ。ゴボゴボと惰性に任せ、吐き出すしかないのもかもしれない。後先、周りの人間の思惑も一切合財無視をしてでも。

・ポケ7のイベントで強い印象を残した進のその後は、結局知る由も無いけれど。兄や父とも和解したとは思えない。彼は、スター選手として活躍する兄の立つ表舞台ではなく、どこぞの球団、球場のベンチ裏、ひっそりと負傷した選手が運ばれてくるのをじっと待ち続けるという立場は、きっと変わらない。

・「ゆれる」の弟、オダギリは兄貴に突き放され、弁護の意義を完全に見出せなくなった彼は、法廷で真実という名の嘘をついてしまう。兄である香川は、実刑を受ける。7年後、オダギリは偶然発見した、昔のフィルムを回す。幼い二人、仲良く手を取り合って例の吊橋を渡る映像。溢れ出る涙を拭えず、全てを悔い改め、大慌てで出所してくる兄貴を迎えに走る弟。兄の連絡先も行き先も分からない。中々見つからず奔走する弟は、ついに反対歩道をトボトボ歩く兄に出くわす。「にいちゃーーん!」と叫ぶも、車の走る音が虚しく掻き消す。ふと、兄が後ろをチラチラ振り返りながら、走り出した。バスが来る。兄はバス停に向かって走り出したのだ。「街」を出て行くのだろうか。誰も知らない場所へ。弟は必死に叫び、共に走る。バスはすぐそこまで来ていた。

「にいちゃーーーん! にいちゃーーーん! ウチに帰ろうよぉ!!」

 ついに兄は弟の叫びに気付いた。キャメラは兄である香川の表情を捉える。弟を見据える兄の顔は、段々と悲しみなのか喜びなのか、よく分からない不器用な笑みを浮かべる。その瞬間、目の前をバスが横切る。

・そして映画はエンドロールを迎えた。

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・先日の「サマーウォーズ」とアニメーション映画の処遇についての中で、ネットコミュニケーションは脆いと言っちゃいましたが、育むのには時間が要するのだ、ということです。無論、私はネット生活を始めて、もう7年以上になると思いますが、その過程、XXXさん、青龍さん、ドリックさん、かもねぎさん、FourRamiさん、カリートさんといった素晴らしい方々と巡り会えたことには感謝しないといけませんね。有難う御座います。小説書いてもまるで駄目な私が、なんやかんや、4年以上もサイト経営してこられたのも友人知人含めて、私に関わってくださった全ての方のお陰です。途中、変な大人(もう名前すら出したくない)のヒステリック騒動に巻き込まれて、人間不信になってしまった時期もありました。正直言うと、後遺症はまだ残っていたりします。我がサイト開設後、掲示板を撤去したのはネットコミュに自信が持てなくなったからでもありました。でも、年に数回しか更新しない当ブログにコメントをくださるXXXさんやドリックさんの励まし、ミクシィでの青龍さんの粋なコメント、そして何より私の高校時代からの友人の支えのお陰で、私は随分と活力を頂けました。これからもどうぞよろしく。情けない怪獣さけれど、どうぞどうぞよろしく。

***

私信

・今更だけど、ミクシィにXXXさんを招待したいのですが、中々忙しそうだったのでタイミングが合わず終いで、ごめんなさい。PCのデータも少し前にトラブルで消去してしまい、XXXさんのメルアドも藻屑と(泣)。またお暇なときにメールをくださると、全盛期の森光子さんばりの前転をしながら喜びます。卒論、頑張ってください。あぁ、遂にXXXさんも来年はタイ締めて、企業戦士となるわけだ。しみじみ。散々な職歴を携えている私は、もう一度、一番初めの就職活動から人生やり直したいものです。てへっ☆

私信終わり

***

・これから頑張って、ブログ更新を再開していきます。小説執筆の息抜きに。

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【サマーウォーズ】(監督:細田守/声の出演:神木隆之介、桜庭ななみ)
 
 試写会での鑑賞から2週間以上経った。鑑賞当時は「まぁ、佳作程度だね」という印象しか受けなかった。細田守の前作「時をかける少女」(2006)のインパクトがあまりにも強く、そのあまりにも高い壁を乗り越えていない気がしたからだ。家族にも友人にも「時をかける少女のほうが面白かった。期待しちゃいけない」と無理にまで煽らなかった。だがしかし、じわじわっと、胸中に沸々と湧いて出てくるように「ああ、そういえばここまで真剣に家族を描いたアニメーション映画って、あまり無かったよねぇ」と、ここ最近印象が上がってきた気がする。<家族>を描いたアニメーション映画は、意外にも少ない。今年公開された作品を観てみると、どれも決まって<友情>や<恋愛>に重きが置かれている。その二つの要素だけではないが、もっと直接的に家族という風呂敷を大いに広げたアニメーション映画は今年の中では正直、皆無に等しい。先日、某有名映画サイトの掲示板の話題に、同じくこの映画の試写を見たという男性のコメントがあった。「家族を描くのは宮崎駿で充分なのに」とある。そもそもアニメ界の巨匠・宮崎駿でさえも、<家族>を描いている作品は少ない。強いてあげるなら「となりのトトロ」(1988)くらいなものだ。寧ろ、高畑勲の作品が<家族>をより根本的に描いているといえる。「火垂るの墓」(1988)「おもひでぽろぽろ」(1991)「ホーホケキョ となりの山田君」(1999)と三作品も挙がってくる。もっとコアなファンになってくると、そのようなジブリ作品ではなく「ユンカース・カム・ヒア」(1994)を<家族>を描いた優良な作品として取り上げる人も少なくない筈である。しかし、今までに枚挙したジブリもユンカースも既に10年、いや20年以上前に生みだされたものである。21世紀に入ってからはどうだ。ずっと見渡しても、ジブリはおろか、追随する気鋭のアニメーターの作るアニメーション映画は活動力重視の気がするのである。画面一杯に繰り広げられる戦闘もの、ロボットもの、はたまた慌しく少年少女の成長を描いた活劇。ジャパニメーションの視野は拡大する一方、例えば原点回帰をして最も身近で重要な要素を丹念に描こうとするアニメーション映画はかなり少ない。一瞬、頭を過った、一匹の狼と山羊を主人公に据えた「あらしのよるに」(2005)を反芻してみたが、いや、あれは「種族」を描いた内容で、家族映画ではない。無難に挙げるなら、クレヨンしんちゃんという狭苦しいフィールドから抜け出し、一つの家族を通して、現代日本の様々な問題を否応無く浮き彫りにさせた「河童のクゥと夏休み」(2007)を監督した原恵一くらいである。久しぶりのアニメーション映画、いや日本映画そのものの快作だった。いや、ひょっとすると21世紀になって9年、それまでに封切られたアニメーション映画の中で圧倒的な完成度を誇っていると断言できる。私も鑑賞当時、あまりにも興奮してしまい、ミクシィの日記に思いの丈をぶつけるのは良かったものの、ネタバレ三昧&脈絡不在(それ以前に、映画のタイトルから安易な子供向けと判断して興味なぞ無かったに過ぎないとも思ってもみる)という畜生な文章を綴ってしまったので周囲から総スカンを喰らってしまったのは悔しかった。しかし、その年のキネマ旬報・ベスト10では、ジブリ映画以外のアニメーション映画として初のランクイン(第5位)を果たし、してやったりな安堵を浮かべる私でありましたとさ。
 
 さて、話は脱線に次ぐ脱線で、何を言いたいのかサッパリなのである。要は家族を描くアニメーション映画は不遇だ(唐突だなぁ)。あまりにも日本映画の話題の隅にも点在しない。前述の「ユンカース」に至っては、殆ど知っている人間はいないのではないか。公開当時、惨めな公開規模と散々な興行収入。アニメーション関係者の間では100%の知名度を誇る、「隠れすぎた名作」となってしまった。さらに小学生の女の子とシュナイザー犬が物語の主人公という地味な設定である。当時は、今日のような「いぬ映画」が流行していたとは言い難い。丁度その頃、ジブリが高畑勲の狸映画を公開していた。そう世間は犬よりも狸だったのだ。大きなスクリーンで「♪赤勝て、白勝て、どっちも負けろ。負けた狸をぶっ殺せ♪」と女将狸がチンドン鳴らしている間にも、「ユンカース」という名作は、高畑の狸たちが嘆いていた、ニュータウン開発に消失した山のように存在すら、掻き消されてしまったのである。「河童のクゥと夏休み」はどうだ。何せ、クレヨンしんちゃんの概念を打ち砕き、日本中の保護者を号泣させた原恵一だ。特に評価の高い、傑作「オトナ帝国の逆襲」(2001)では、ひろしの回想に泣かされ、そしてラストでは吉田拓郎の「今日までそして明日から」が流れながら、野原一家が20世紀博を去っていくシーンに誰しもが暗い見通しの21世紀を精一杯、家族で支えあって乗り越えていかなければならないと、決意したことであろう。その、原恵一なのだ。そんな阿呆みたいにアニメーション離れな映画を作り、成し遂げてみせた稀代の映画人が作った、満を持しての最新作「河童のクゥ」はもっともっと、配給の松竹が心血注いでバックアップすべきだったのだ。所詮、天下の東宝にはテレビドラマをフジテレビと一緒に映画化するしか能が無いのだから、東宝が手を出さないジャンルを、頑張らないでどうするのか。内容は必ずしも子供受けしないが、でも純真な子供を騙してでも観てもらわないといけない。2時間20分という長尺が受け入れられないかもしれない。でも、無理矢理に席に押し付けても、その価値は薄れないはずだ! という、強い信念みたいなものが結局松竹には無かったということである。結果的に「河童のクゥ」は原恵一の5年ぶりの待望作であったにも関わらず、3億円の興行収入で寂しく留まったのであった。
 
 不遇だ。あまりにも不遇だ。<家族>がしっかりとヒットしないアニメーション映画界に殴り込みを掛ける映画人はいないものか。……いた。それが細田守の最新作「サマーウォーズ」である。間もなく、というか明日8月1日・映画の日から公開という絶好の機会だ。ヒットして貰わなければ困る。ヒットしないジャンルは、もしかするともうアニメーション映画でも拝めないかもしれないのだから。
映画のストーリーはというと、非常に現実味を帯びており、世界的に流行しているSNSをもっと生活に肉迫させた、OZという仮想世界がクラッキングされ、大勢の利用者もしくは公共機関、企業のアカウントが乗っ取られる事件が発生する。そんな危機に数学の名手である、高校生の健二と、彼が憧れている高校の先輩夏希と武田信玄の家臣の末裔である、多種多様な陣内家の本家、その親戚一同が立ち向かっていく、いわばタイトル通り「夏の陣」の様相を呈した大家族活劇なのだ。名前が覚えきれないほどの登場人物が出てくるが、富司純子演じる90歳の栄お婆ちゃんの気概にまず圧倒されることだろう。未曾有のネット災害においても、まず<家族>の連携を第一にして、「家族が一致団結せねばいけない。やれば出来る。諦めちゃいけないよ」とディジタルに立ち向かうにしても、決して忘れてはいけないアナログな姿勢を崩さない。そして観客は、栄が古い知り合いに連絡を取り合うために用いる手段に、それまで散々OZのハウツゥ含め、ネット社会の描写に慣れ親しんだ目をパチクリさせてしまうことだろう。ここがある種のミソみたいなもので、仮想社会のOZの混乱が一つの主軸なのに、なぜわざわざ長野県の片田舎を現実世界においているのか、その理由もおのずと分かる。
 
 ネット上のコミュニケーションは、私の中では脆すぎると思う。そして紛れも無い仮の姿なのである。ミクシィのような現状のSNSでも、私の経験上、人と人との繋がりはガッチリしているかと自問すれば、絶対何処かで遠慮している部分が存在するからである。中には本心をひた隠さずにいられる人もいるが、残念ながら元々、ネットなんかで自分を遠慮させながら根深くいようとは思っていないのではないかと思えるのだ。その人は、元来、現実に生きる人なのだ。但し、あくまで客観的なだけで、本人からすると「本心じゃないのになぁ」と呟いているのかもしれない。全部引っくり返して、本当のところは当事者以外分からないものだ。至極当たり前の話ではあるが。結局、パソコンの画面を仲介して、文章を打ち込み「会話のような会話」を交わして、互いの顔を意識できないコミュニケーションの進歩は容易なのだろうか? なかなか、難しい世界なのだと思う。ミリ単位以下の、非常に微妙な精神領域の中だ。OZの存在する、多分決して遠くない未来に誰しもが、老若男女問わず其処にアクセスする為の端末(劇中では、携帯はもちろんのことニンテンドーDSからもOZに繋がる)を持ち合わせ、生活の主体及びビジネスに活用していても、それらは人と人とのコミュニケーションがあってこそ、感情面を含めて成り立つものではないのか。現在において、最も身近なのはAmazonなどのネットショッピングがある。否定はしない。全国何処にいても希望の商品をワンクリック、注文できる。細微のようで実に簡単なので、私も度々活用する。店頭価格よりも安い、というのも購入意欲が沸くというものである。だが、注文するにしても単なる作業と化してしまうのは言うまでも無い。其処に、人と人とが直接介することは皆無なのだ。強いてあげるなら、注文した商品を届けに来る配達員とのやり取りくらいか。しかし、大概の配達員は、届け物の中身なぞ知る由も無いのである。ネットワークの進歩は、生活速度にもゆとりが生まれ、潤滑な社会が生まれる。サマーウォーズのOZのように、完全に生活の母体となれば潤いも増すということになる、かもしれない。「人との繋がり」は感じられないけれど。もっとも、その一種として、アバターという自分の分身キャラクターがOZの住人として存在するが、あくまで偽者だ。
 
 さて、サマーウォーズは正真正銘の家族映画である。OZという仮想世界はあくまで見せかけ。OZで繰り広げられるアクションと策略、敵味方問わず、色彩豊かなキャラクター達が縦横無尽に駆け回る姿に、子供のみならず大人の鑑賞に堪えうる活劇が見応え抜群。さらに、世界終末へ否応無く向かう、スペクタクル溢れる展開、それに対する親戚一同の奮迅ぶりもギャグ要素を織り交ぜ、面白おかしく魅せる。監督の熱望で実現した山下達郎の主題歌も余韻を際立たせるのにも一役買っており、心地良い納涼気分と共に劇場を後に出来るだろう。しかし、どんなに目まぐるしい程、豊かな要素に富んでいても、終始このサマーウォーズには家族そのものが関わる。「家族で決着つける」が合言葉のように付きまとうのだ。この映画において、世界中のOZを利用する人がまさに繋がっていくシーンみたいなものが描かれるが、私から見れば何ともご都合の良い展開だ。私が当初、あまりこの映画を評価できなかったのもネットコミュニケーションに対する中途半端な肯定が描かれていたからだ。だが、今思うと単純にエンターテイメント趣向に完成させた細田の気概の一つと捉えることが出来る。傍から見ればちょっとくすぐったいけれど、大団円に向けての布石と思うと映画として成功している。それよりも何故今更、再評価したかったというと、劇中のOZで巻き起こる騒動の根本に蠢いているのも、<家族>という意識だったからだ。何度も何度もしつこいようだけれども。
 
劇中、中盤近く、ふらふらっと大家族の前に現れる侘助という男に着眼して頂きたい。もし観て下さるのであれば。その男の境遇、ゆえに抱えるコンプレックス。それがもたらした真実が分かる瞬間、人という理性をもつ唯一の生き物が辿り着く先は、家族なのかもしれない。巡り巡って家族に辿り着いた思惑が、たとえば恩返しであれ、「恨みや妬み」といった憎悪であれ、<家族>を意識しているという意味では一緒なのだと思う。結局、普通の人間を名乗っているならば父親、母親、兄弟、姉妹、祖父母で構成された中で少なからず、いや間違いなく過ごしているからである。細田守は、ネットコミュニケーションで成り立ちつつある世の中を、本作でコミュニケーションの本家大元である<家族>という明快な立場を用いて、打ち破ってみせた。なんとも、爽快なカリカチュアである。今夏必見の一本。小難しいことなぞ考えず、ジメジメした湿気が続く世の中、是非「劇場から出た後、晴れ間が広がってそう」な本作をご覧になって、健全な精力剤を大家族・陣内家の人々、そして彼らに翻弄されながらも、周囲を鼓舞しながら成長していく主人公・健二から注入されてみてはいかが?

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プロフィール
HN:
ゴズィラ
年齢:
36
性別:
男性
誕生日:
1987/05/20
職業:
物流関係。(フォークリフト全般に乗れます)
趣味:
映画鑑賞(特にミニシアター系)・小説執筆・漫画収集
自己紹介:
 将来の夢は、土曜日の昼下がりに映画館の窓口に座り、ちょっと万人受けしないアート系映画を「俺、こんな映画だって見ちゃうんだぜ」とドヤ顔を浮かべながら、「一般、一枚」と言ってくる勘違い野郎をひたすら鼻で笑いながら、「ハン! 何が一般一枚だ。どうせ、金曜日の夕刊の広告に載っていたやつからソレっぽいもんを選んで慌てて観に来たくせに偉そうなツラしやがって。……前売り買って出直してこい!」と、罵りながら、少しでもお手軽に映画をご覧になって頂こうという明瞭快活なポリシーを以ってして、たくましく接客をすることです。
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